行きつけの中華があることがその地に住んだことの証
どうもおのさとです。
明日をもって約8ヶ月駐在していた埼玉を離れます。長いようで短い、空虚なようで充実していた時間でした。
引っ越しで部屋の整理をしていたらいろんな記憶が蘇ってなんとなくメランコリックでした。
よくよく振り返ってみると、最初の半年の記憶はあまりないんです。たぶん生活に慣れることや上司のウザさに耐えることに必死だったから特別な記憶みたいなのはあまりなくて。
でも最後の3ヶ月はとても充実していました。
だんだんと仕事を任され(任されたというか奪ったというかw)、人間関係もコツを掴んで肩肘張らずできるようになったので、頭のメモリが空いたから印象に残ってるんだと思います。(まあ単純に近い記憶だからってのもあるけど)
あと大きかったのは好きなお店がいっぱいできたこと。
食は天なりとはよく言ったもので、おいしいものを食べると精神が安定する気がする。
特に嬉しかったのは好きな中華料理屋をみつけたことですね。大学時代、大学のそばにある中華料理屋に週2,3で行ってだってのもあると思いますが、私的に中華は大事。
今回の埼玉で見つけたお店は、餃子がバカうまかった。キッチンは中国人でホールは日本人。言葉があんまり伝わらないから常にみんなピリピリしてる感じなんだけど、それがBGMになってみんなガヤガヤする感じ。
その店を見つけてから、ホント、精神的に安定した気がする。大げさかもしれないけど、わたしには大事なんだ。
私の埼玉史のエポックメイキングな出来事は中華!
こう書くとマヌケっすね笑
まあ今日はここまで。来週からオフィス勤務。不安だー。まあなんとかなるか。
おのさとでした。またねー
「逃げるは恥だが役に立つ」は現実逃避のための言葉じゃない
どうも、おのさとです。
最近、辛かったら逃げろ、好きなことでも生きていける、というような逃げることを肯定するような言説を多く見かけます。
それらに対して私はずっと違和感を持っていたんですが、それを言語化できたような気がするので記事にします。
そもそも、なんで逃げろと声高に叫ばれるようになったのか。
それは職場環境や人間関係に、到底理解できないような理不尽が蔓延っているということがSNSの力によって広まったからです。
セクハラ、パワハラを筆頭とするハラスメント問題や家庭内暴力などですね。
私たちはこの前提を忘れてはいけない。
憲法にある「健康で文化的な最低限度の生活」が保証されない時は、さっさと逃げろよ!ってことです。
そりゃそうだ。人間としての尊厳を無闇矢鱈に傷つけるような環境からは今すぐ逃げたほうがいい。完全同意です。
でも!耐えるべき苦しい状況からも逃げることが正しいことなんだみたいな空気が蔓延してないですか??
分かりやすい例で言えば受験勉強とか新入社員がやらされがちなクソみたいな事務作業とかからも逃げるが勝ちみたいな。退職代行とかその象徴でしょ。
今やスマホを開けば大きな成功を挙げたインフルエンサーの思想や意見にすぐに触れることができます。インフルエンサーって成功してるから全てが正しく見えてくるけど、そんな奴らばかりじゃないからね。自分の影響力を使ってバカから小銭を毟ろうとするやつらだっていますからね。
前見てビビったのは、某インフルエンサーが大学行かずにオンラインサロン行った方がいいって呟いてたやつ。いやいや、あんた立派な学歴持ってるやろ。それで一杯得したことあるやろ。私は別に大学行った方が良いというつもりもありませんが、そういうポジショントークはクソだなと思いますね。
しかも大学受験って自分の努力だけで勝負できる最後のゲームですからね。そこでどうやって勝つか考えることは、インフルエンサーワナビーたちとディスカッションしてるよりはるかに身になると思ってます。そこは逃げるべきじゃないんじゃないかな。
仕事だってそう。私も新入社員としてクソみたいな旧態依然のやり方押し付けられて辞めてえって何度も思いましたけど、耐えてたらそういう仕事の楽しみ方とかわかってきましたよ。そういう自分で掴む感覚って、辛くて苦しいことに耐えないと身につかないもんだと思うんです。そして自分で掴んだ答えは一生忘れないんです。
耐えた先に広がる景色とか心情を得る機会を奪うような「逃げ恥」は私はキライですね。
そもそも会社員を煽るようなことを言いまくってる人たちってダサくないですか?人の生き方にケチつけて勝ち誇ったようなドヤツイート連発してる人見てると哀れな気持ちになります。
本当に好きなことや楽しいことしてお金稼いでる人がそういう煽りしてるの見たことないし、多分そもそも他人の人生に興味がないでしょ。
今、名の知れてる社畜煽るようなインフルエンサーたちって、会社員をやめることで得られる甘い幻想をチラつかせて小銭稼いでるだけにしか思えないし、それに賛同してホントに会社辞めたとかいってる人もどうした??って思っちゃう。
逃げることを過度に正当化すると責任感が持てなくなる。自分で決めた道だから自分で落とし前つける!っていう覚悟がないと、信頼感ゼロの空虚なモンスターが出来上がる予感しかない。
だからあえて言いたい。
逃げるな!戦え!
以上、おのさとでした。また明日バイバイ
暇はメンヘラの元である
どうも、おのさとです。
まとまった貯金ができてきたのでそろそろ寝てても金が増える仕組みを作りたいと思い、お金に関する本を買って読んでいるわたしです。
そしたら結婚・新婚旅行の平均予算は460万円とか書いてあってぶったまげました。
同級生とか1,2個上の先輩がバンバン結婚しだしたけどマジでみんなそんな金持ってんの?!
てか、休日にデパートとか行くとクソハイブランドのお店に砂糖に群がるアリみたいに人がうごめいてるんですけど、あいつらみんなそれ買えるの??服とかカバン見るとモンクレールとかヴィトンとか当たり前のように持ってるし、どこから錬金してるんだ、教えてくれ!という気持ちでいっぱいです。
はい、前置きが長くなりました。前置きが長い時は私調子いいんですよね()
今日のテーマは「暇」について!です。
以前の記事で
毎日更新を辞めたことで毎日更新のメリットを逆に感じることができた
みたいなことを書いたと思うんですが、そのことについて書きます。
私、付き合って7ヶ月くらいになる彼女がいるんですよ。
付き合った当初はむこうが好き好き〜〜って感じで、私はあーはいはいみたいな感じでイキり倒してたんです。
でも2ヶ月くらい前から私の方が好き好き〜〜ってなって、彼女が明らかにペースダウンしてるんですよね。
そうするとモヤモヤしちゃって、余計に彼女のことばかり考えて、ラインまだかな?とか前行ったデートの写真とか見返しては〜早よ会いたい。。みたいにメンヘラブチかましてるんですよ。
私こんなんになったのマジで初めてで。それまでは彼女より絶対に自分が優先、友達と彼女でも友達の方がギリ優先。気分が乗らない時のデートはマジでギリギリまで仮病使うか悩むみたいな感じだったんです。
なので最初のうちは
新しい私を発見させてくれた彼女にマジ感謝
みたいに全てをプラスに捉える新興宗教にハマった人みたいになってたんですが、最近そういう自分がマジでキモいと思うフェーズに入ってきまして、なぜそんなに彼女のことを考えてしまうのかということについてめちゃ考えたんです。
そして出た答えが
暇だから
でした。
2ヶ月前って仕事もピークを過ぎてかなり落ち着いてきたのにもかかわらずブログの毎日更新をストップした時期でした。だから家帰ってからやることなくてダラダラケータイ見てテレビ見てっていう時間が多くなってたんです。(なら更新せえよっていうツッコミは全く聞こえない) 人って不思議なもんで、手持ち無沙汰になると誰かと繋がっていたい欲みたいなのがめちゃ表に出てくるんですよね。
で、彼女とか恋人ってそういう時にめちゃめちゃ連絡しやすいじゃないですか。付き合ってるから連絡するくらい普通みたいな意識があるから。
連絡すると今度は返信が唯一の楽しみになってケータイを肌身離さないようになり、返信が来たら秒で返し、、みたいなことをやって家にいる時間彼女のことばっかり考えるようになっちゃったんです。
ブラスのことばかり考えてるならいいんです。最初はそうでした。次の遊びの予定とか無限に考えられましたから笑笑
でもちょっとでも引っかかることを言われたりすると、一気に転落。今度はマイナスのことばっかり考えるようになってしまう。
そしたら悲惨ですよね。ありもしないことに不安になってイライラして疲れてきちゃって、それを自分で解決できないから余計に相手に依存するようになる。それがエスカレートして、、はい!
メンヘラの出来上がり〜〜
だから、ブログを毎日更新するのは大事なんです。
ブログって書くまでに下調べとか構成練る時間とか必要だからしっかり書こうとすると2時間とかあっという間なんですよね。
平日の夜家にいる時間のうち2時間がブログってなったら、そりゃ暇じゃなくなる。睡眠時間は絶対確保しなきゃいけないから必然的に相手のことを考える時間も減る。せいぜい寝るまでのまどろみの中で考えるくらい。
そんくらいがちょうどええんじゃ!
そう。そんくらいがベスト。
出汁を丁寧にとった味噌汁みたいにほんのり甘い気持ちがあれば十分でしょ。
アメリカのお菓子みたいに過度に甘すぎる気持ちはすぐに精神をおかしくしてしまう。お菓子だけに!!
あれ、やべえ最後めっちゃすべった気がする。まあいいや。今日はここまで!おのさとでした、またあした!ばいばーーい!
期待するから失望するけど期待しないなんて無理じゃん?
どうもおのさとです。
1ヶ月ぶりですね。毎日更新が遠い昔のよう。。
よくやってたな〜笑
でも毎日更新してたおかげで精神衛生がとても良かったということを毎日未更新してたおかげでわかりました。
今度(明日とは言わない笑)そのことについて記事書きます。
今日のテーマは期待についてです。
私の敬愛する筋肉オタクtestosteroneさんのツイート
https://twitter.com/badassceo/status/1096603664662224896?s=21
を見てあー確かになーと思いました。
私、最近彼女のことがめちゃ好きで、今までは毎日会うとかまじ無理。一ヶ月に一回で丁度良くね?とか思ってたんですけど、今は毎日会いたいってくらい彼女のことを考えちゃうんです。
それだけ考える時間が増えると、妄想の中でこういうことしてくれたらなーみたいな期待や希望がどんどん膨らんでしまって、いざ現実と向き合った時にため息ついちゃうことが増えました。
- デートであったときに服似合ってる!って言って欲しかった〜
- ラインの返信がなんかそっけない、、?
- 酔っ払ってるってわかってても好きって言われたら嬉しすぎる
- 今何してんのかな〜おれのこと考えてるかな〜
- 俺は好きだけど向こうはどんだけ好きなのかな?
乙女かな??
こんな感じのことを考えては、自分の理想通りに動かない彼女に対してため息。。
でもこれって当然ですよね。
だって彼女なんて、好意を示したことに対して受け止めてくれて一緒にいるってだけの赤の他人なわけじゃん?
自分の理想を押し付けたり、理想通りに動いてくれないことにモヤモヤしたりすることって、ラーメン屋で美味しいカルボナーラ食べたいから出してくれないかな〜なんだよラーメンかよふざけんな!っていう客とおんなじですからね。
うん、だから期待なんかするだけ無駄。
本当にそうなのか?!
私考えました。期待しないってことは、期待があるからできることなんじゃないか?期待しないって言ってる時点で、期待することがあって、そうはならないでしょって自分の中でその可能性を消すことが期待しないってことじゃん?
本当に何にも期待することがなかったら、期待しないっていう言葉は出てこないよね。もう、無だよね。
そもそも、「期待しないからこそ何かしてくれたときに喜びが倍増する」とかいうけど、そう言ってる時点で何かしてくれることに期待していて、でも自分の中でハードルを下げてるからそこを超えてくれてハッピー!ってことじゃん。期待してるじゃん。無理に理性で期待のハードル下げてるだけじゃん。
だから、基本的には期待しないってことは無理で、期待はしてしまうものだと思うんです。
でもその期待があるとめんどくさい男or女になる可能性も増すし、精神的によろしくないこともあるし厄介なやつですよね。。
じゃあどーすればいいんだ??って考えました。
私がとりあえず出した結論は、期待の元になる思考時間を減らすということでした。
考えちゃうから期待するなら、相手のことを考える時間をなくせば期待しなくて済むよね?!
つまり、自分のことで精一杯な状態に自分を追い込むということ。
そうすれば、期待して依存するみたいなことから逃れられるし、仕事で精一杯になるんだったら自分のスキルも身につくし、これが最良や!!
このことを友達に話したら、「いや、自分のことばっか考えてるやつとは付き合いたくないだろ。フラれるよ」って言われました。
確かにそうだ。
じゃあどーすりゃいいのーー?!ジーザス!!
今日はここまで!おのさとでした、また明日。ばいばい!
将来を考えるときに欠けがちな「時間軸」の概念
どうも、おのさとです。
今日は新社会人やこれから社会人になる人に向けて書きます。もちろん自戒を込めて。
将来に悩んでいる君へ
社会人になるといろいろな理不尽にさらされると思う。まず、部下は上司を選べない。これは規模の大小問わず会社という組織に属したら決して避けられないことである。
そして勤務地。面接で都市部での仕事をいくら熱く語ったところで、人事や役員のさじ加減一つで簡単の僻地に飛ぶ可能性もある。
配属部署もそう。何の興味もない部署になった人なんて、日本を探しただけでもごまんといるはずだ。
こういう理不尽にさらされると、人は自分の将来を考える。
本当にこのままでいいのだろうか。転職をしたほうがいいのではないか。起業するか?副業も視野に、、などいろいろと思索にふけると思う。
そして近しい親族や同期、友達、上司に相談するだろう。
たぶんいろんなことを言われる。確かにな、と思うこともあれば、は?こいつ何言っちゃってんの??と思わざるを得ない時代錯誤なことをいう人もいるはず。
そうすると余計迷う。
この迷路からは簡単には抜け出せない。
一度、「とりあえずは起これた場所で全力出して頑張ろう!」と思っても次の日やなことがあれば「俺はここにいるべき人間じゃない」と180度違う考えになっている。
こんな迷宮に入ってしまったらどうすればいいのか。
わたしは、時間軸の概念を持つべきだとおもう。
これは、
30歳までに結婚して、35で~~部に異動して、40で部長に、、
という類のものではない。これは単なる空想上の予定である。
ここでいう時間軸とは、
自分や、相手の自分に対する行動・言動がいつのゴールを目指しているか
ということである。
時間のコンパスとでもいったほうがいいだろうか。
たとえば、会社の上司と自分のキャリアプランについて面談をしたとする。
自分は5年先を見据えて、部署異動をしたいという。それに対し上司は5年ではこの部署のことはわからないからここでがんばれ、という。
これは自分と相手の時間軸がずれているからおこるコミュニケーションの齟齬である。
自分は5年後には(転職したいから実力がいち早く身につきそうな)部署に異動したい。対して上司は(40年間会社にいることを前提に)まずは5年ここでがんばれという。
()の中が欠けているからお互いに「こいつは何を言っているんだ」となる。
この例では上司に対して将来転職したいという前提を言うのは難しいかもしれない。
だが、この相手はいつのゴールに対しての助言をしているのかということを自分だけでも明確にする必要がある。
さもなければ助言をもらうたびに異なる時間軸の話を混同して迷路がどんどん複雑化していく。
これは自分の中だけで考えているときにも同じことが言える。
なんとなく役に立ちそうだから資格を受ける、というよりは(たとえそのプランが実現しなかったとしても)10年先の独立に向けて、今この資格を取る、と考えたほうが迷うことが少なくなる。
つまり時間のコンパス、というわけだ。
私たちは今の現状を分析することは比較的得意だが、将来を予測することは苦手である。というか、できない。しかし、できないからやらないとよりできなくなる。
結果として予測が外れてもいい。自分の時間感覚を身に着けるためにも、未来から逆算をして今を考えていくことはとても重要なのではないか。
今日はすこし硬めの文章で書いてみた。いかがだったであろうか。
今日のテーマは最近ずっと考えていることで、たしかに、「今」をがんばることはとても重要なのだけど、世代や立場が異なる人は「今」だけに目を向けてないこともあって(いい意味でも悪い意味でも)、そういう人たちと話すとモヤっとすることが多かったので、自分なりにその理由を分析してたどり着いた一つの結論になります。
あ~このひとは今までの経験から私の20年先を見て言ってんのかな?と思えるようになるだけでモヤっと感は減るので、将来に悩みを抱えている人にはお勧めできるかなと思います。
今日はここまで。おのさとでした、また明日。ばいば~い!
迷うから自分の答えが生まれる
どうも、おのさとです。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
そして大変お久しぶりです。
更新が止まっていた理由は明日の記事に譲ります。
今日は迷うことを全力で正当化したいと思います。
迷いが生まれる理由
迷える子羊の皆様、こんにちは。
かくいう私も迷える子羊で、もう迷ってる時間長すぎて迷える羊になりつつあります。
そもそもなんで迷っちゃうんでしょう。
それって多分真剣に考えているからなんだと思います。
食事一つとってもメニューとにらめっこしてる時間の方が長い人っているじゃないですか。それに関しては早く決めろグズがって思ってしまうタイプの私ですが笑、それもこの食事を良いものにしたい後悔したくないって気持ちが働くからだと思うんです。
人間どうでも良いことには迷わないでしょ。
この子をモノにしたいと思うからこそ男はLINEを送信前に何度も見返すし、女の子は着ていく服を決めるために家でファッションショーをするんです。
そう考えると悩むことも悪くはないのでは、、?
迷うから自分の答えに責任を持てる
そうして悩みに悩んで自分で出した結論だったら、もし失敗だったとしても次は絶対失敗しない!と強く思えるし、成功したら喜びも一入なんですよ。
悩んで真剣に考えて現状ベスト(と思われる)答えを導き出せば、それが自分のオリジナリティでだれにも否定できません。できるのは自分だけ。
そういう、ある種自分の人生を賭した選択を重ねていって、自分の決断にケツを持てる立派な大人になれるんじゃないでしょうか?
最悪なのは迷った末に、自分以外のなにかに決断を委ねてしまうこと。他人の話だったり、ネットの情報にそのまま乗っかってしまったら、その悩んだ時間はその誰かまたは何かのモノになってしまう。
それってめちゃもったいないですよね。
自分の人生自分で責任を取る。
一見当たり前なことを確実にこなしている人になりたい。凡事徹底。
だから今日も私はどのavで一人慰めるかに1時間かけるのです。
今日はここまで。おのさとでした、またあした。ばいばい!今年もよろしく!
頼む立場の言葉遣いか?それ
どうも、おのさとです。
今日は職場にクリスマスツリーを設営する仕事をしました。
そのおかげで仕事が進まず残業です。テンション上がるぜ?!?!
いろいろと思うことがあったので書きなぐらせてください。
頼む人の立場は下だろう?
なにかを人に頼むとき、わたしはすごく気を遣うんです。
だって頼むということはほんとはそれをやる必要のない人にやらせようとしているってことじゃないですか。やる必要のある人は頼まなくてもやるし、やらなきゃいけないわけですから。
ってなると、頼むときは
じかんをうばってすまないんだけど、お手すきでいいから手伝っていただけないだろうか
というテンションになってしかるべきじゃないですか。
でもわたしこういわれました。
「手伝え」
まあ会社に属する以上、上司の言うことは基本的には従う必要があるわけですから、ムッとしながらも手伝いに行きました。
そこでまあいろいろな作業をしていたんですが、今度は別の上司から
「いやそうじゃないだろ、もっとこうしろよ」
と言われました。
そこでわたしカッチーン
頼んでる立場のやつにそういう注意の仕方するなんてあなたはいったいどのような教育を受けてきたのかしら??となりました。
で、その上司は全く作業はせずに時々見に来ては文句だけ言って帰っていくという。
いいだしっぺは率先的にやるべし!って習わなかったんか!
で、挙句の果てには
「俺が指示すればみんながうごいてものができる。仕事もそうだ」
みたいなことをのたまうんですよ。
いや、貴様この成果物は何人もの時間と労力の犠牲の末できたものだからな?お前がやったわけじゃないからな?
たしかに、指示を的確に出して人を動かす能力は上に立つ人間には絶対に必要だと思います。でも動いてくれた人への感謝とかねぎらいの気持ちを忘れてしまったらダメなんじゃないか?いまは恐怖で民が動いてくれているかもしれないけどそのうちだれもついてこなくなるんじゃないか?
わたしはまだまだぺーぺーなのでそういう人が上に立つ資質がある人なのかっていうのはよくわかっていないんですけど、自分はこうなりたくないと強く思いましたね。
頼むときは圧倒的低姿勢
わたしが人に何かを頼むときはもう下から下から!
お時間奪ってすいませんというきもちでたのんで、やってくれた出来不出来にかかわらずめっちゃ感謝します。
なにか問題があったら、全否定はせずに「ここはいいとおもうんだけど、」とか「こういう考え方シタラもっとよくなりそうじゃん?」っていう感じで相手を乗せるように工夫します。
これはわたしの学生時代の経験から、こういう風にしてくれたら人がついてきてくれたから。
これがあってる保証はないけど。
人は成功体験に引っ張られてしまいますからね。
そう考えると悪い例を見るのは案外悪くないのかもしれない。
いい例はその人の人間性とかもかかわってくるから再現性低いけど、悪い例はまねしたら大体同じ結果を招くもんね。
まさに
人の振り見て我が振り直せ
いらいらしながらキーボードたたいてたけど、最後うまくまとまりました。
今日はここまで。おのさとでした。また明日、ばいばーい!
悩みは自分だけのものだ
どうも、おのさとです。
みなさんは悩みもってますか?
その悩みって自分らしさを見つけるヒントだと思うんですよね。
今日はそのことについて書きます。
全く同じ悩みを抱えている人はいない
悩みって千差万別です。
太ってるのが悩み、とか多くの人が抱えてそうなものもありますが、それは表層だけのもの。
なぜ太ってるのが悩みなのかを突き詰めていったら一つとして同じものはないはずです。
だから私は悩みこそ大事にすべきだと思います。
悩むことが好きな人たち
一方で、悩んでいる状態が好きだから悩んでいる人たちもいます。
悩んでいれば周りから心配もされるし、自分の中の行動しない言い訳にもなるからです。
こういう状態ってとても楽です。痛みを伴う決断を先延ばしにできるから。
だから悩んでいるという状態はどうでもいい。
重要なのはなぜ、悩んでいるのかというところ。
なぜ、に自分が詰まっている
悩んでいることと真剣に向き合うのは辛いかもしれません。
悩みには自分の弱さがめちゃくちゃ詰まってるから。
でも弱さこそが自分だし、弱さこそ個性だと思うんですよ。
個人の時代とかいってセルフブランディングがめちゃ流行っていますけど、本当のブランドは作るものじゃなくてすでにあるもので、それを磨いていくから出てくるもののはず。
だから弱さときちんと向き合える強い人間でありたい。
答えを出せるのは自分だけ
弱さを見つめて、じゃあどうするか。
その後の行動を決めるのも自分です。
弱さを克服するのか、弱さは放置して他のところを磨くのか。量をこなして克服するのか質を極めて克服するのか。
自分が取る行動にも自分が現れる。
答えを出して動くのはやっぱり自分。
他の人に言われたことは結局自分を変えてはくれない。
人生は自分のためにある。
おわりに
今日はなんかエモい感じの回になりました笑
ここ最近、同期とずっと今の悩みについて語っててあれこれ言い合ってたんですけど、結局は自分でどうにかするしかないよね、という結論になりました。
悩むことに逃げちゃいけないけど、悩むことを逃げちゃいけないですよね。
だって悩みって自分を映す鏡だもの。
どんな偉人も悩みがあって、それと戦って今がある。
そう思うと悩むのも悪くないなと思います。
この悩みは自分だけのものだ。誰にもわたしはしないぞ、、!
そんなことをめちゃくちゃお腹を下しながらトイレで考えてました。
お腹弱いのが悩みのおのさとでした。また明日、ばいばーい!
今の日本は夢を見やすい素敵な国なのではないか
どうも、おのさとです。
先日、2025年大阪万博の開催が決定しましたね。
テーマは
いのち輝く未来社会のデザイン
だそうです。
これを受けて、世間では税金の無駄遣いだとかいろんな批判があるそうですが、私はそうは思いません。この万博の開催に大賛成です。
今日はそのことについて語ります。
国の目標が明示されるメリット
今の日本は2020年の東京オリンピック、2025年の大阪万博と、世界的なビッグイベントが控えた状況にあります。
これを1960年代の高度経済成長期と重ねて、日本の景気を再び活性化させるチャンスと捉える向きもありますが、私はそんな大それた展望を持っているわけではありません。
ではなぜ、大賛成なのか。
それは
自分の人生の目標を明確にしやすいから
です。
こういう国を挙げた大きなイベントがあるということは、それまでに何かしらの変化があるはずです。そしてそれはもしかしたらパラダイムシフトが起こるほどの大きな変化かもしれない。
それこそ、前回の東京オリンピック〜大阪万博で起きた東海道新幹線や首都高速の開通のように。
その変化に対応できる人間でありたい。その変化を起こす側、仕掛ける側になりたい。
そう思うと、それまでに何をやればいいのかということがぼんやりと見えて来る気がしませんか?
もし、すでに目標がある方は時間の〆切が設定されることで、より具体的で現実的なスケジュールを組むことができそうじゃないですか?
正直、私はやってみたいことはあるのですが、急を要するわけでもないしな、、と具体的な行動を後回しにしている節があります。てかそういう人多いんじゃないですか?多くあってくれ!笑
自分で具体的な時期や目標を立てられない脆弱な意思を持つ我々は国に乗っかってしまえばいいんです。そういうチャンスをくれた国に感謝です。
このようなメリットがあるなと思って私は大阪万博万歳なんですよー。
人生プラン
さて、それを受けての私の人生プランを発表します。
2018〜2020 奨学金を全額返済し、貯金300万
2020年 東京オリンピックを生観戦。開会式、サッカー、テニスは絶対見る。世界最高峰のエンターテイメントショーを肌で感じて自分のエンタメを作りたいという夢を具体的にする。
2021年 海外部署に移動し、海外駐在し国外でのビジネススキルを身につける
2022年 日本に帰ってきて長期休暇で世界のエンタメショーを見てまわる。これまで作ってきたコンテンツを世界に問うてみる。
2023年 独立に備え貯金する。1000万貯める。積立投資もする。健康にこれまで以上に気を使いカラダをしっかり鍛える
2024年 自分のエンタメで金を稼げるようになる。結果を出す。この年の後半、会社を辞め独立する。
2025年 自分の事業で大阪万博に出展し、メディアに取り上げられる。
こんな感じで。自分でも飛んだ青写真でわろたw
でも期限がある目標を立てられたことは私にとってすごいでかい。
今の仕事もそれに向けての下積みと捉え頑張れそうです。人間やっぱ何かに向かってる時が1番頑張れんだよ!
この記事が7年後脚光をあびるんだぜ、、見てろよ。。
その時はこのブログもめっちゃでかくなってんだろうなー、なんかワクワクしてきた!
今日はここまで。おのさとでした。また明日、ばいばーい!
私のぷち転職活動はあっけなく終了した
どうも、おのさとです。
こちらの記事で就職活動をしていることをカミングアウトしていたのですが、今日その就職活動が終了しました。
おのさと様
この度は○○○○会社2020年度入社採用・総合職に
ご応募いただきましてありがとうございました。1次審査の結果、今回は残念ながらご縁がありませんでした。
おのさとさんの今後のご活躍をお祈り申し上げます。なお、審査結果に関するお問合せには一切応じかねますのでご了承願います。
○○○○会社 人事局人事部
こちらのメッセージがマイページに届いておりましたよ。
せつねえ、、
みん就を1年半ぶりに見てみると、通過しました!の嵐。
なんだよ全通ならESやる意味なくね?といってるやつもいて
落ちてるから!俺落ちてるから!!
って泣いてました。
なんか久々の感覚でした。ESで落ちるとはさすがに思ってなかったから結構ショック。
じゃあなんで落ちてしまったのだろう。今日はそのことについて考えてみました。
既卒で現職の扱いづらさ
私が応募した会社は新卒採用の会社だったんです。
でも募集要項には
入社時に28歳以下なら既卒・就労の有無を問わない
と書いてあったので応募しました。
でもさ、おのさと、よくよく考えてみ?
もうすでにほかの会社に染まってる可能性が高くて、年齢も学卒より4つくらい高くて、事務的な手続きもイレギュラーなこと多いやつを穢れのない新卒の子と同列では扱わないよ、やっぱり。
しかも全く異業種なわけなんだしさ。なんだこいつ、、っていう目で見られるのは確実だよね。
そういう冷静さが足りなかった。。
ほぼノリでES書いちゃったもんな~
もしそういう風に確実に見られるぞ、という意識があればESの書き方も変わってるもんな。絶対。
ノリで行動していくのも重要だけど、私には行動すると決めたら一度じっくり考える時間も必要なんだと思った。
たぶん動いたこと自体に価値を置きすぎちゃうんだよな。性格上。
自分に甘いもんで、、
一番重要なのは何事も結果。結果を出す方程式は
行動の量×思考力+運
だもんな。行動したことにいちいち満足してたら行動の量は稼げないし、思考も深まらないし、そういうやつには運もめぐってこないんだから。
行動することが普通になるくらい圧倒的に行動し、そのあとに思考力を増やす。走りながら考えるすべを身に着ける。
っていうのが最も成功への近道なんかな。
本件では自分の志向の浅はかさに気づき、転職への気が少しそがれるというわりと芳しくない結果に終わりました。
でもこういう失敗を発信していくことが重要なんだよな!これからの一億総発信世代にとっては!
失敗すらもコンテンツに!人生すべてで稼いでやるぜ。
今日はここまで。おのさとでした。また明日、ばいばい~!